第21回 うたかた

 

第21回 うたかた

 


私、着々と誕生日を重ねて歳をとりまして、ちょっと自分でもびっくりしちゃう、いつの間にこんな歳になりましたやら。人が生きていく、時の流れはいやはやほんとうに<うたかた>なものですねえ。おまけに<うたかた>って<泡沫>って書くのですねえ。泡沫、ってこれ、選挙の時に言われる<泡沫候補>の<ほうまつ>の文字を当てるんですねえ。泡と消えていく儚いもの、この<はかない><儚い>の文字もまた、人偏に夢と書くだなんて。
ああ、ああゝ。

 

 それでもですね、私これまで「もうちょっと若かったらなあ」とか「若い頃に戻りたいなあ」なんて思ったことは、ほぼないんです。なんだかんだ言ってもそれなりに刻々、楽しんだり悲しんだり頑張ったりしながら生きてきた、それが積み重なっての今だもの。海のものとも山のものとも知れなかった、あの根拠のない自信をたぎらせて無鉄砲な、生臭いような若さを持て余していた頃を通り抜けて、自分の<限り>を知った今をそう嫌いじゃないわけで。酸いも甘いも噛み分けて、どれもこれもになんとか対処できるようになったこの、熟成の年月を刻んだ感じを、受け入れてもいたのです。歳をとるのもまんざらじゃないよね、みたいにね。

 

 でも、つい先日のこと。歴史学者の藤原辰志先生と対談するお仕事で京都大学にいったおり、京都の桜の満開に誘われてか、それまで気づかずにいた身の内にある「ああ、若かったらなあ!」という思いが急に花開いたのでした。何しろ、大学です。京都です。歴史の重みを感じる瀟洒な建物、緑美しい校内、そぞろ歩くお若い学生さんたち。
そして先生の研究室にお邪魔すると、本、本、本の山。壁一面の本、お部屋の真ん中に仕切りのように両面の本棚、また本棚。

 

「先生、これ全部読まれたのですか?」
「まあ、なんというんですか。頭の中に全部は入りきらないけれど、ああ、ここにはあれがある、この本にはあれが書かれている、とね、背表紙で検索できるみたいな、外付けハードディスクみたいなものなんですよ。」
そのお答えも面白い。それにしても私だったら、この本たちの中にあと何年何十年、妖怪みたいに住み着いて片端からチミチミとかじるように紐解いても、ここにある<知>の山の全体像を把握することすらできないのじゃないかしら。

 

 「長生きしたいっ」なぜか急に強く強く思ったのでした。あと何十年も生きて、この片鱗だけでも齧って飲み込んで消化して血肉としてみたい。膨大な知らない世界を前に、両方の掌堅く握って握り拳にして立ち尽くすような、でも自分の時間の限りあることを改めて深く思い知ってしまったような。
「ああ、もう一度やり直したい。無駄に過ごした<ように感じた>時を巻き戻して、知らない、わからない、深淵な世界を学び直したい。」
そう思ったのでした。

 

 どうしたら良いのでしょう、度数の深まった老眼のせいか、灰色の脳細胞がしぼみ始めたせいなのか最近とみに集中できなくなって、本を読むのが億劫になってきている自分を思い出して、歳をとることの切なさを、はらはらと散り落ちる桜とともに感じた春なのでした。

 

 

 

 

 

次回は、2022年5月中旬更新予定です。お楽しみに!