第18回 開けましたね

 

第18回 開けましたね

 

 

ご報告

 

 2021年12月30日と、開けて1月3日に、東京四谷のイグナチオ教会で、生活や医療の相談を合わせた、食糧&お弁当を配布する<大人食堂>が開催されました。
30日に約300食、3日は約400食の、合わせて700食のお弁当を一昨年、昨年同様、たくさんの方々にご協力いただいて作りました。
このエコデパの主催である生活アートクラブさんからは50キロの自然栽培米をいただきました。混乱を極めるキッチンに、社長富士村さん自らお米を運んできてくださって、ありがたいやら申し訳ないやら。そのほか、兵庫、東京練馬、群馬、松本、北海道、栃木など各地の農家さんからびっくりするほどたくさんのお野菜をいただきました。またパルシステムさんには鶏肉、調味料からご提供いただき、40キロ分の鶏の唐揚げを作っていただきました。群馬のお肉屋さんには、自慢の焼き豚やお肉を廉価で分けていただきました。
皆様の支援、本当にありがとうございました。
早く、温かな食べ物を一緒に食べていただける環境が戻ってきますように。

 

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 開けましたね、開けちゃいましたね。開けちゃってもうすっかり時間がたっちゃいましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。初っ端からオミクロン株で、心ざわつきますけれど、これが世界中でやたらに広がっているのかを考えると、これまたなんという時代を生きているのだろうと思います。

 

 こういうもの、と思っていた日常が変わっていく。でも、自分はいたって普通に暮らしていて、熱も平常、体も正常。だからコロナ禍が広がっているとわかっていても、どこか現実感がない気もする。新聞やテレビのニュースを賑わすたくさんの人が感染したニュースも、どこか遠い場所のことのように感じたりする。

 

 うまく説明できるかわからないが、なぜか戦争のことを思い出すのだ。

 

 中島京子さんの「小さいお家」という小説を読んでとても驚き、かつ胸に残っていることがある。映画にもなった素晴らしい小説。お話しは戦争前後を通じて、東京山手の小さなお家に住む奥様と女中さんを中心に描かれる。映画では、松たか子さんが奥様を、女中さんを、黒木華さんが演じている。

 

 ふと気がつくと世の中が今までとは違う方に傾いている、あれあれ?と思ううちに、状況は逼迫して戦争が始まる。戦争。これまで戦争という言葉が頭に浮かんだ時に思うのは、行軍する兵士や銃撃戦、空爆や戦下の中を逃げ惑う人々といったものだった。
でも違ったのだ。もちろん直接の戦いも当然あるが、戦渦の中でも人々は生きて暮らしていたのだった。「小さいお家」に描かれていたのは、戦争に向かう時代、戦果の中にあっても子供の面倒を見て食事の用意をし、お弁当を作ったりする暮らしの情景だ。ショックだった。普通の暮らしの背景がじわじわと暗い色彩にかわっていく、でもその中にも日常がある、という当たり前のことに驚いたのだった。
何年か何十年か経って、2020年から2022年の今を振り返るとしたら、<新型コロナのパンデミック>という言葉で表されるのだろう。でもその中で私たち、刻々の日常を生きているのだ。

 

 パンデミックの大変な状況を実感しにくい日々の暮らしの中で、後戻りできない地点まできてしまっているのかもしれないと感じたのは、今年もまた開かれた年末年始の大人食堂に参加したからだ。生活に困窮する人が確実に増えている。女性の生活相談も増えている。食糧配布の列に、子供たちと一緒の女性や、高齢の方を見かけることも多くなった。どう考えても、こんな寒空の中に帰る場所のない人がいていいわけがない、食べるものに困る人がいていいわけがない。

 

 コロナに端を発した経済的な困窮が、<こういうもの>として漠然とあった当たり前の日常を追い詰め破壊している。でもパンデミックだけが理由ではないと思う。大きなシステム自体の機能不全。自助や共助ではもう賄いきれない、公助こそが動かなければいけないと思うから。
私たちの無意識の中に<おまかせ主義>みたいなもの、ありはしないか考えるようになった。国のあり方に目を閉ざしているうちに、いつの間にかズルズルと深みにはまっていくことにならぬよう、キッチンの窓を開けて社会とつながる、世の中の状況を俯瞰して<自分事>と考えるようになりたい思うのだ。

 

 2022年、どうなりますか。いい年にしたいものです。

 

 

 

 

 

次回は、2022年2月中旬更新予定です。お楽しみに!