第17回 お向かいさんが引っ越しちゃった

 

第17回 お向かいさんが引っ越しちゃった

 

 

 クリスマスって、苦しい この日だけは幸せでいなくちゃいけないみたいで。町中が幸せな顔をしているみたいで。

 

 まるで大急ぎで部屋を片付けるみたいに 心の底に持つ不幸せをしまわなくちゃいけない 普段は幸福と不幸がまざりあった迷彩柄なのに この日だけはぴかぴかした幸福のよそいきに着替えなくちゃならないみたいで 隣の人の幸福の大きさばかりが気になってしまって

 

 でもね ほら キャンドルをともしたら思い出した この日は 人の幸福を静かに祝う日だったんです どうぞ どうぞ幸せになってくださいって 知っている人にも 知らない人にも 心からの祈りを込めて 願う日だったんです。

 うちのキッチンの窓からは6〜7メートル向こうに、間に一本の大きな樹を挟んでお隣のマンションの同じ階のベランダが見えるのだ。そうはいっても、うちのマンションもお向かいのマンションも通りに面して建物の正面玄関があり、部屋から続く窓とベランダも同じ方向、通りに面してある。だから私の家のベランダから直角の位置にあるキッチンの窓から見えるお隣のマンションは、建物の横の部分。その壁に沿って正面の窓からL字型に続く裏庭のようなベランダの横が見えるわけなのだ。
写真かなんかで見たら簡単なことなのに、こういうのを文章で説明するって本当に大変。まあ要するに、私のキッチンからは、お向かいさんの室内は見えず、L字型のベランダのみが見えるわけです。

 

 私がここに住んで約17年の間に、お向かいさんは3〜4組の人たちが入れかわったが、ここ数年は同じ方がいらした。もちろん独り住まいかどうかはわからないが、私が窓に面した流しで皿などを洗っていると、時折お見かけするのはお一人の女性。うちのグチャグチャに比べると整頓されたベランダ、植物もセンスよく並んでいて、ヨガの先生とかかな、この時間にお見かけするのは会社勤めじゃないかも、いやいや在宅ワークかな?
想像を逞しくしていた。

 

 ところが先週のこと。気がつくとお向かいのベランダはスッキリと何もなくなっていて。ガーン。引っ越しちゃったんだぁ。
なぜかわからず、すごく寂しくなった。話したこともないし、挨拶すら、正面から顔を向けたことすらない人なのだ。でも、ああプランターの葉っぱが繁ってきましたね、とか、新しく植えたのはハーブかなとか、やはり日々、お向かいさんの存在を目の端にとどめていたのだ。人が暮らしているっていう、ただそのことが遠赤外線みたいなほの暖かさで窓の向こうにあったわけです。
そして今は。
ガランとした人の気配のないベランダが寒々しく、寂しい。
いないんだ、いないんだ、となぜか窓の外を見るたび思うんです。

 

 街中の薄い人間関係。
もし偶然私がキッチンに、お向かいさんがベランダ横にいる時があったら、窓を開けて声をかければよかった。おーいおーい、って声をかけて手を振ってにっこり笑ってみたらよかった。映画だったらありえたのかな。
知らない人が、隣に居る、住んでいる、というただそれだけのこと。関係とも言えない関係性、それが無くなってしまったというだけなのに、この喪失感はなんだろう。
人はほんとに寂しがりやなんだな、と改めて思うのだ。
意気投合して楽しくワイワイとパーティーだ、忘年会だ、というのがしにくいコロナ下だけど、静かにそれぞれの場所でそれぞれの暮らしを大事にする人たちがいる、そのことに勇気づけられたり、心、温まったりもするのだな。

 

 

 

 

 

次回は、2022年1月下旬更新予定です。お楽しみに!