第11回 花

 
 

第11回 花

 

 

 子供の頃、6月の花といったら紫陽花でした。子供たちには今でもやっぱりそうなのかな。
折り紙を小さく切って貼り付けたり、花びらひとひらづつをいろいろな淡い紫や水色で描いたりしたものです。学校の行き帰りに、紫陽花をじっくり眺めました。
梅雨空の色、雨の色、傘の色に映える紫陽花の色のグラデーションを考えました。
花の色、それも季節の色を考えると、紫や水色って特徴的だったのかもしれないです。
チューリップの赤や黄色、黄色いまん丸のひまわり、やっぱりまん丸に開いたピンクやオレンジのガーベラ、大きなダリアやマリーゴールド。子供心を沸き立たせる元気色の花々、名前を知らなくても、頭の中にある花たちはそんな色で咲き誇っていたんです。
 

 

 そうして少し大人びてからは、白い花、ひっそり咲く花なんていうのに自分を重ねて見るようになったりして。春の雪柳やこでまりが大好きです。いいなあ。大好きだなあ。
あっそうだ、もちろん桜を無視するわけにはいきません。大好きです、桜。もう気が気じゃなくなる。桜が咲く、いつまでもつ、いつ観にいく、桜の頃は胸騒ぎの季節です。
でもね、枝垂れた枝に連なって咲く小さな白い花々も、いいですよねえ。
いけないいけない、そんなふうに思い出していたら、コブシや木蓮やハナミズキや、ああ、木にさく花たちが、はいはいはい!って一斉に手を上げ始めました。いやいやあの、地面に張り付いた、たんぽぽやヒメジョンや忘れな草やすみれもクフクフと笑いながら手をあげたりしてきて、急に頭が春の花に飛んでいきました。

 

 幸せになるなあ、これいいですね!
悩み事に捕まったり気持ちが落ち込みそうになったら、季節の花を順に思い出すんですよ、ひっそりと幸せを運んできてくれる。精神科、花の治療部。いいこと思いついちゃったなあ、思い浮かべただけでも幸せになれる、花の実力ですね。

 

 あ、でも花の話がしたかったのは、別の理由です。
大人になった今は花屋の花に季節を教えてもらうようになりました、ましてドライブも旅行もままならないコロナ禍です。そんな今の6月の花として急浮上した芍薬のことが話したくなったからでした。だって芍薬、断然綺麗なんですもん。なんていうか、大女優、みたいな風格、豪華な大輪。なのにけばけばしくないのは、桜のように季節限定だからかしら。
開くだろうか、どうだろう、と思いながら蕾の芍薬を買って生けてしばらくすると、開いてくる、幾重にも幾重にも折りたたんだ美しい色が開いてくる。
通学路に咲いた紫陽花から、大輪の芍薬のある部屋で、刻々の時を見つめ続けて花と暮らすようになった、大人になるのも悪くないです。ああいいなあ、ああ綺麗だなあ、と。花ってすごい、改めて思っているのです。
 

 

 もうひとつ、伝えたかった花は伊豆諸島の一つ新島のお墓に咲く花です。
新島は白砂の美しい海岸があって、若い人たちを引き寄せる島という印象がありました。
私の年代で言えば、ちょっと申し訳ない、ナンパをしたりされたりの軽薄な夏を過ごす島の印象。でも農業問題の話で島に伺って、地元の食べ物を教えてもらったり、畑に行ったり島の歴史を教えていただくと、断然違う顔が見えてきたのでした。
その中で忘れられないのが、お墓。木に囲まれてひんやりした墓地は、整備されすぎていないところがとても落ち着く場所でした。島の歴史が静かに眠っているような場所。でもどのお墓の前にも溢れるような色の大きな花束が競うように供えられているのでした。

 

 

 年金が支給される日になると、島のおばあちゃんたちはこぞって花をお墓に備えるのだそうです。年金の多くは、花に変わるらしい。その美しい墓地をよく思い出して、その話が大好きで大好きで、よく考えるのです。花道楽。なんてかっこいいお金の使い方なんだろう。

 
 

 花たちに癒される時間。

 
 

 

 

次回は、2021年7月中旬更新予定です。お楽しみに!