第9回 病気になりました

 

第9回 病気になりました

 

 病気になりました。

 

 なんだか息苦しいな、としばらく思っていたのです。でも、いつもいつもじゃなく、どうってことのない日もあれば、ちょっとしんどいなあという日もあるという程度。時々鍼灸師の友人にマッサージをしてもらうのですが、そのおり、肩がほぐれると「ああ、息が入った」と思ったので肩こりのせいかもと呑気に構えておりました。そこにある朝めまいが始まり、おやっこれはやばいのかな?となりました。

 

 3年前の夏、寝ぼけて裸足でキッチンに行き、ガラスのかけらを足裏にさして嫌々病院に行きました。でもその前の20年ほどは、親の病院通いにつきそったことはあっても、自分のためには検査にすら行ったことがなかったのです。
市販の売薬すら飲まないタイプ、<不調はご飯で治す、寝て治す>という軟弱ながら無頼派でありました。
ただ今回ばかりは友人が、「とにかくともかくとりあえず! なんでもいいからさ、頼む、速攻病院へ行きなよ。知り合いの心筋梗塞の前兆がそうだった、大変なことになるかもしれないからなるべく早い方がいい。」といったのでした。

 


で、病院へ行きました。
先生が一人の近所の病院です。素早かったです、その日のうちに血液検査、心電図、レントゲンをとりました。そして託宣。
「肺炎です。」
がーん。

 

 「CTもとりたいのですが、ここでは撮れないので、別の病院に行っていただきます。でもPCR検査を受けて陰性でなければ受けられないのです。なので、これからPCR検査をします。検査結果は明日、電話で連絡をします。」
うわうわうわ、ほんとに大変なことになっちゃった。

 

 そして翌日電話が入る。「PCRの結果は陰性でした。今日の午後にもCTを撮りにいけますよ。」「行きます行きます」で、サクサクとコトは進んで数日後、検査結果が揃って再び先生との面談。

 

 予約制の、明るい陽のさす待合室には常時4〜5人の人が待っています。でも、順番に呼ばれるわけじゃなく、後から来た人にどんどんと追い抜かれた私は最後でした。だったら一番遅い予約にしてくださいよぅ、と思ったわけなんですが、まあ、こんな風に追い抜かれるってことは何かあるんだなと、心の空にじわじわと不安と覚悟が雲みたいに浮かんでは流れていきました。

 

 先生と向き合うと、なんだか言いにくそう。
「病名は間質性肺炎です。」
あちゃー。その病名、私よく知っています、亡くなった弟と父の最期の病名がそれでした。でも何がショックって、先生の気を使った伝え方でした。これから先は大学病院で詳しい検査をして治療方針を決めることになります、だそうで。
あいやいやー。

 

 大学病院での検査が始まった第2ラウンドは、何しろ病院へいくこと自体に慣れていない私にはびっくり続きでした。まず大学病院、大きすぎました。駅みたいです。チケットを買うように診察券を機械に通すと、4桁の番号とどこにいくかの指示の書かれた紙が出てきます。私はその番号になってどこ行きのプラットフォームにいくのか迷いながら、病気の駅をさまようわけで。

 例えば血液検査には、待合ソファの周りを取り囲んだAからJまでの注射ブースが10個あります。ソファ正面の電光掲示板に表示されるブースと自分の番号を見ながら、それぞれのブースに進むというシステム。
いろいろな科<例えば私は呼吸器内科>の診察受付だけでも3つあり、それぞれの受付の奥に進むようにベンチが縦に並んでいて、そのベンチの両側に小さな診察室が10個並んでいます。なんだか絵本の中で見たアリの巣を思い出します。それぞれの診察室の前にはやっぱり電光掲示板があって、番号が表示されます。番号になった私はSF小説の中に入り込んだような気がして、現実感が薄いのです。担当医もなかなか決まらず会わず、たくさんの人とすれ違うけれどなんだか人と会っている気がしませんでした。

 

 お医者さんはきちんと説明してくれますが、教科書を読み上げられているような気がしてきます。自分でもWikiで調べたからすでにわかっているけれど、うーん、その説明の中に、私はいないような感じもして。

 でも家に帰って、病気になった理由や今の自分の状態、病気の進行具合などを頭の中で繰り返し考えるようになって2〜3日たったある朝。起き上がろうとするのに、大きくうねるようなめまいがして息苦しさがつのって、さらには頭痛もして胸に痛みまで感じるようになって。
ついには、人生初の救急車を呼ぶ事態になりました。付き添いでは数回乗ったことがありましたけど、まさか自分が担架で運ばれるとは。

 

 でも、本当に苦しかったその時の理由は病気ではありませんでした。救急外来で大急ぎでいろいろな検査をした結果、過換気症候群=過呼吸でした。ストレス性の要因、つまり自分の気持ちが自分を追い込んでいたのでした。

 「間質性肺炎の原因はわからないことも多く、そのため治療方法も確立しているわけじゃないから難病指定なんです」と聞いた上に、弟のこと父のこと、最後はやはり酸素吸入をしなくてはいけなかった知り合いのことなど個人的な思い出が絡まって、どんどん気持ちを追い詰めてしまったのでした。
「あなたくらいの肺の状況で普通に暮らしている人はたくさんいますよ」と言われて、ようやくほっとしたのです。
考えてみると病院にいってから一気に症状が強く出て、すっかり病人になってしまったのでした。

 「薬の副作用でこの病気になることもあるので、薬は出しません。」だそうで。「もしすごく息苦しくなったらどうしたらいいでしょう?」と聞くと、
「横になって安静にして深呼吸をしてください」と。
えーっ、そうなのか。

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 結局今では自分の調子は自分で診るとばかり、ヨガの呼吸法とアロマオイルでマッサージをするのを起きたてに一時間、その後瞑想を15分、着替えてからは、野菜スープを飲んだり自家製のヨーグルトを食べたりしています。
なんだかにわかヘルシー人間になりました。
定期的に、レントゲン検査で病気の状態はチェックしつつですが、自分流の方法で病気に向き合うことにしました。

 

 長い報告になりました。病気になってみて、すごくいろいろなことを考えました。病気に教わることってたくさんあるなあ、と思ったりもしています。

 

 また時々、報告しますね。

 

 

 

 

次回は、2021年5月下旬更新予定です。お楽しみに!