第8回 春の日差し

 

第8回 春の日差し

 

 2月半ばを過ぎた頃からの夕方に、あれ、まだ明るい、陽が伸びたんだ、と気づくときがある。冬が重たいドアを少しづつ開けている。沈丁花が香ったりするとドンピシャだけど、早々うまくはいかないんだよね。

 でも朝にも。起きたてでベランダに出て、あれっと思うのだ。どう言ったらいいんだろう、なんだか違う、日差しが冬とは変わってきている、キラキラしている。

 

 春は一気にやってくるわけじゃない、三寒四温ってこういう時に言うのかしら。冬と春のせめぎ合い、寒さや温かさは開きかけたり閉じたりしながら季節の窓を少しづつ開いていく。でも。日差しは違う、戻ることはないのだ、晴れる日降る日はあっても、日差しは春を確実に溶かし込んでいく。

 

 「春の日差しに気がつくと、ああもうすぐだ、もうすぐくる、と思うようになったの。」と陸前高田に住むひろ子さんが言った。嬉しかったはずの春の訪れに、3・11が腰を据えた。もうすぐその日になる、と締め付けられるような思いで心の準備が始まるようになったと。
その話を聞いてから、私の春の迎え方も変わった。日差しのきらめきとともにひろ子さんを思いだすようになった。ひろ子さんとひろ子さんがその日にいた陸前高田の3月11日に思いを向けるようになった。やってくるんだな、その日が、と私の中の春を待つ気持ちにも覚悟のようなものが腰を据えた。

 


10年前の3月11日。
日差しが春めいてきた頃の、寒さの戻ったある日。
その日をきっかけにして、私は変わったのだと思う。

 

 震災後に尋ねた場所、出会った人たちのことを思い出す。思い出す、と言うよりも、もう私の中にあるのだ。その土地からいなくなった人たちを悼む人たちが、強く重い記憶が一緒に、体の底を流れる川のように流れ続けるのだろうと思う、これからもずうっと。

 

 震災後の、5月末頃だったか。岩手県遠野市から大槌町へ向かう山の中の道を通ると、途中から川に沿って水が逆流してきたことがわかった。川に沿った山道を進むに従って、荒れ狂った水の跡に、でる声を飲み込むようになった。住宅の跡に棒にさした赤い布が立っているのは、亡くなられた方のいた場所だ。後から教えられて知った。なぎ倒され、もぎ取られていった暮らしの痕、破壊し尽くされた場所を見たのは初めてだった。戦争の後ってこんな風なんだろうか、と思った。

 

 震災後の3月中旬から<にこまる>という名前のクッキーを作って被災地へ送リ始めた。何ができるかわからなかった頃に、友人たちと集まって手のひらで丸めるコロンとした形のクッキーを作り、食材を配送するトラックに乗せてもらうことにしたのだった。材料がたくさんあったから、と言うのがクッキー作りの理由だった。なにかしたいけれど何ができるかわからなかった、東京にいてさえどうなるのか不安ばかりだった頃に、集まって喋りながら、手のひらを使って誰かに食べてもらうものを作る、そのことで私たちはすごく落ち着いたのだった。私たちを落ち着かせたのはテレビのニュースでもなくネットの情報でもなく、ボソボソと思いを吐き出して喋りながら誰かと一緒に、誰かに食べてもらうものを作ること、繋がろうとする思いだった。

 

 ならばと、被災した土地で作ってもらい、被災していない私たちが買う形に変えたのだった。<にこまるプロジェクト>という小さな仕事作りの始まり。これに参加してもらうために各地に出向いた。炊き出しの手伝いをしながら、いろんな人たちと会った。泣いたり笑ったりしながら、一緒に手を動かしてクッキー生地を丸めた。
痛みをかわることはできない、でもある時を<ともにいること>はできる。

 

 3・11がたくさんのことを私の中に残した、私を変えた。<共に生きていく>という考えが、季節を知らせる日差しのように、私を照らすようになったのじゃないかと思う。

 

 

 

 

次回は、2021年4月中旬更新予定です。お楽しみに!