第15回 いらっしゃいませのトイレ

 

第15回 いらっしゃいませのトイレ

 

 

 家のトイレのウォシュレットが壊れました。
「部品がもうないので修理はできませんが、どうしますか?」
そうですかぁ<軽くショック>。物入りのこの時期、悩みましたが結局新品に取り替えることにしました。パンフレットの中の数ある選択肢から説明を受けて、どんな機能を持つ機種にするかを考えました。これまでと同じの馴染んでいる機能でヨシとするつもりでしたが、座面の大きさが変わるそうで、それではと少し奮発して自動的に座面の蓋が開く新式を導入することにしたのでした。

 

 ところで。
数年に一度くらいの割で私、大きくて立派なオフィスビルに行くことがあります。かなり苦手。ビルの入り口には駅の改札みたいなゲートがあって、働いている人たちは首から名札をぶら下げてる。男性は今風のちょっと細身の背広でパンツはシュッと細めの短め、女性はローヒール、姿勢よく胸を張って、シュシュシュッと歩いていらっしゃる。
私なんか一年中サンダル型のサボですもん、そんなビルではどうみたって場違いなオバはんです。
それにしてもね、なんなの、このここが最先端!みたいな意味なくイバった感じ。軽くムカつく自分。そんな自分を今度は<ちいさいなー>と勝手に怒って勝手に反省。なんだか妙に忙しいわけで。
そんなビルのトイレに、会議室みたいなところから陽のささない廊下迷路を通って行き着くと、ドアを開けたとたんにホワワンと電気がついたりするのです。
なんですかあ?トイレの電気くらい自分でつけられますよっ。
当然、トイレの蓋もヒュルリと開き、使用後の水も自動的に流れる。
センサーに感知される私の尿意&使用前使用後。
手を洗うのも、差し出せば出てくる洗剤&水。

 

 なんだかそういうの、もういいよ。そう思っていました。
なんでもセンサーの便利の極致。裏返しで考えたら、張り巡らされるカメラやセンサーの監視社会になったりしないのかしら?

 

 唐突ですが、ガタボコ道をかっ飛ばして荒地の真ん中で止まる、インドの長距離バスのトイレタイムを思い出しました。遮るものの少ない中、みんなが三々五々あちこちに散ってそそくさと外トイレを済ませるのです。まあそれはそれで不便ですし、うちの母なんて100%拒否だろうなあ、と思いだしてクフフ、と私、笑いました。でもね、人間どんなところでも生きていくものです、電気がなければ便器の蓋も開かない<そんな訳はありませんが>手も洗えない、というより逞しい方がいいじゃないか、便利を競いすぎて人間がどんどん何もしなく、できなくなっちゃう、そんなふうにも思ったり。

 

 でもね。
結局、うちの新しいトイレも自動的に蓋の開くものに変わりました。ところが、散々文句を言ってきましたが、私、結構好きになっちゃったんです。
 

 

 だってトイレに入ると自動的にトイレの蓋が開くんですよ、まるで<あ、お待ちしていました>って、<いらっしゃいませ>って言ってくれるみたいな感じなんです。<あ、お世話になります>みたいなね、心でお礼言ってる自分に気がつくわけです。
便器の蓋と小さな心の交流してる。
なんだかなあ、ですが、そんな平和な日々を過ごしております。
 

 

 

 

 

 

 

次回は、2021年11月中旬更新予定です。お楽しみに!