第6回 年越し大人食堂、
ともに生きてく、年明け。
2021年1月1日元旦と3日の二日間、東京・四谷の聖イグナチオ教会で、生活相談や労務相談などを合わせた<年越し大人食堂>があり、私は去年に引き続きそのキッチン担当として参加した。今年は新型コロナ下で生活不安を抱える方達が増えたせいで、2日間で約750食ほどの食事を提供したことになった。
年末28日に、大量調理用の大鍋、五徳、プロパンガスなどを借りにいき、29日から31日までは、私の自宅で料理を準備した。10時から夕方5時半まで、一日の人員約8〜10人。それだけでも、すごいでしょ、工場みたいだった。密にならないように離れて、あっちのテーブルで白菜を切りこっちのテーブルでは大根を刻み、ガス台ではひき肉を炒め続け、ベランダでは土付き野菜を洗い続ける、そんな感じ。
何しろ、検討もつかない量のご飯作り、各地から野菜を始めいろいろな食材の寄付が届いた。
玉ねぎとじゃがいも各50キロ、3色の人参やチコリと水菜が各3箱、ごぼうが20キロ。長芋20キロ。その他、かぼちゃにパースニップにビーツ。これらは十勝の有機農家さんから。
さらには、白菜が2箱と大根1箱、長ネギ、白菜、キャベツ、ほうれん草、カリフラワーがそれぞれ1箱づつ。紫の大根や赤カブなど、色どりを華やかにしてくれるものが詰まった各種野菜の箱も届いた。
うちの玄関に、ずっしり重い段ボールが山積みになっていく。十勝からは他に、養鶏農家さんから鶏肉や、鶏ガラ、卵など、そして無肥料無農薬栽培の乾麺の蕎麦が50キロくらいに、直径約30センチの太鼓型のチーズが3つ。太っ腹すぎる!
この連載をしている生活アートクラブさんからも、お米100キロ<!>に、冷凍の豚肉や仙台揚げ麩なんかがドカンドカンと!ありがたかったです、いやもうマジで、感謝以外ないです。パルシステム生協からも、豚ひき肉20キロ、豆腐30丁、お餅が2つの大箱、たまご4箱<300個くらい?>、浮身に使うはんぺんやスープに使うクリームチーズと牛乳、塩や砂糖や醤油の調味料、出汁用の鰹節や昆布、スープの素などなど、などなど。
みんなの気持ちと労働が玄関を埋め尽くしていく。コロナ禍ゆえ一緒に食べられるわけじゃないけれど、<ともに困難な今の状況を切り抜けていく>こと、<ともに食べて生きていく>ことへの力が、結集する。ありがたすぎる。畑から、鶏舎から、工房から、それぞれの現場から、思いが寄せられて集まってくる。
それを次々と料理して準備するのも大変だったけれど、それでも誰かに食べてもらうものを<一緒に作る>、その作業がみんなを生き生きさせていると感じた。
お弁当のメインは、豚ひきで作った肉味噌と、きのこと細かく切ったにんじんを入れた豆腐のそぼろ、そして醤油麹や生姜のたれで味をつけた薄切りの豚肉だ。
メニューを立てるときに思ったのは、同じもの一種類だけ作らなくてもいいのだ、ということ。一緒にその場で食べられないから、いろんなおかずがのったお弁当を選んでもらいたい、スープも2種類あったら「どれにしますか?」って、多少なりとも会話ができる。
次々と渡して終わり、じゃなくて、これは肉味噌のお弁当、これは豆腐そぼろですよ、これはなますだからさっぱりしますよ、なんて説明しながら話せたらいいなと思ったのだ。
去年の大人食堂がそんな風だったからだ。
最初はみんなに同じものが行き渡るように、お皿にセットを作った。おむすびに細々したちょっと正月気分のおかず、メインのおかず、熱々のスープ。でも、握る人によっておむすびの大きさもまちまちになるし、なんだかだんだんめんどうくさくなってきて、鍋で炊いたご飯を部屋の真ん中にドーンと持って行ったのだった。
「ご飯が炊けましたよーーー!」私は持って行っただけ。あとはボランティアでお手伝いしてくれている人に「みんなによそってねー」と任せたのだ。
キッチンからその様子を見ていたら、じわっときた。
ふたを開けると湯気がモワッと上がる、白い炊きたてご飯に歓声が上がる。お皿を差し出す人、よそる人、鍋の周りに人が集まって、なんだかまるで即席の擬似家族みたい。好き嫌いがある人も、たくさん食べたい人も、何か一つのおかずをもっと食べたい人も、自由。
でも、コロナ禍の元、今年はそうはいかない。
コロナめ、擬似家族の温かさを返せ!
元旦の食堂初日、教会のキッチンで3日用の仕込みをしながら、私、急に涙が出てきた。悔しくなったのだ。
本当だったら、温かな自分の家でお餅やおせちなんかのご馳走を食べながらゆっくりと年のはじめを祝うはずのこの日に、なぜこんなに多くの人がお金に困って無料の食事に並ばなくちゃいけないのか。寒空の中、野宿しなくちゃならない人がいるのか。
泣きながら「安倍のマスク返すから、税金返せ!そのお金をここで配れ!」
大声で言ってみた。キッチンにいたみんなが、そうだそうだ、と一緒に声を合わせて、「安倍のマスク返すから、税金返せ!」の大合唱になった。
泣きながら少し笑った。
3日用の仕込みを終えたあとも、食材は十分すぎるほどあった。
野菜の箱がまだ家に残っていたので、急遽、フリーマルシェをすることにした。余裕のある人からは寄付をもらい、余裕のない人は無償で、野菜を持ち帰ってもらうことにした。私、少しわかったことがある。
困窮していることをまるで恥じるように、肩を落として首うなだれて食料の配布に並ぶのじゃなくて、余裕がある人ない人、みんなが混ざればいいんだ。
余裕のあるなしはその時の偶然、みんなが一緒になったらいい。
「これはどう?持っていって、美味しいよ!いっぱい頂いちゃったからね。美味しく料理してねー。」なんて言い合いながら、まるで田舎の隣近所みたいに、混ざり合って分け合ったらいいんだ。
外国籍の人も、子供をつれたお母さんも、若者も老夫婦もおばさんもおじさんも、みんな嬉しそうに野菜を選んでくれた。野菜は無事、すべてみんなの手元に渡っていった。食べ物が間にあることで、Help! が言いやすくなるって、いいじゃないか。
「食べて」って言うのは、「生きて!」っていうこと、食堂やマルシェをする側も、それが言えることがありがたい。
夕方6時のおしまい頃に、お父さんと一緒に小学2年生の男の子がやってきた。大人食堂の報道を見て、お年玉を寄付しにきてくれたのだった。
そう、いろんな人が来てくれた。
誰かのために何かしたい、そんな気持ちも繋がっていた。
苦しいことも大変なこともいっぱいある。でも、ありがたいこと、嬉しいこともいっぱいある。
ともに生きてく、年明け。
次回は、2021年2月中旬更新予定です。お楽しみに!