第5回
千里の道も一歩から
今朝も私のキッチンはぐちゃぐちゃだった。リビングのテーブルの上もぐちゃぐちゃだった。凄惨を極めていた、と書きかけて、いやいやそこまでじゃない、その二歩手前くらいか、と思い直す程度のぐちゃぐちゃさ。昼間出かけて一度帰り、そのまままた夜のパン屋に出かけ、帰りには4泊中の友人をピックアップして戻った。朝作ったスープを昼に食べ、そのまま夜にも少し食べ、鍋のまま一晩おいた。カウンターの上には様々なものが散乱していた。段ボール3箱届いたりんご<ありがたいが必死に食べてる>、ぬか漬けの壺、新聞、片付け中の皿、出しっ放しの缶切り、果物のシロップが入ったガラス瓶などなど。
一つづつ一つづつ、と思って片付けていく。
ここのところ、気がついたのだ。
全体を見ると、あちゃー、となる。どう手をつけていいのか、軽く途方にくれる。でも、違うのだ。一つづつ、元に戻していく。少しづつ成果は現れる。
洗う、拭く、引き出しにしまう、まずは定位置に戻す。5つ何かを片すと、ちょっと見た目が変わってくる。オーバーだけど、希望が見えるのだ。やったね私、と思える。最終的になんとか部屋が、住まいとしてのプライドを取り戻したようになると、<さあ、次に行ってみよう>と思えるのだ。<ようやく片付いた、終わった>というよりも、<さあこれで始められる>となるのだ。
今は昔、私がまだ子供だった頃の実家には、いかにも昭和な来客用セットの皿があった。白い陶器で、薄い紫色のバラの花の模様。きっと母が、昭和の<豊かな暮らし>の理想を見るような気持ちで買ったのだろう。頒布会なんていう名前のもと、毎月ひとセットごと送られてくるような、そんな感じ。
大皿、中皿、小皿、角皿に加えて小さな醤油皿。小鉢、ボウル状の器、それらが各5枚づつ、加えて中華風のスープが入るようなオーバルのボウル、同じく大皿。なんかもう、邪魔にしかならないようなセットをしかも、来客用と決め込んで流しの上の使いにくい棚にしっかりしまいこんであった。
使っても年に数回。銘々皿としてそのセットが多数登場する来客は、子供の私にとっては退屈以外の何物でもなかったはずで、全く記憶にない。子供部屋でひっそり潜んで、早く帰らないかなあ、なんて思っていたに違いない。
でも、退屈な大人たちの宴が終わったあとのことは覚えている。
大量の皿が積み上がった流しを前に母は「千里の道も一歩から!」と一言呟き、おもむろに皿を洗いはじめるのだった。
なぜかその「千里の道も一歩から!」という言葉が、何十年か経って、今度は自分が山のような皿や片付け物を前にしたときに浮かぶようになった。
洗い物を手伝いなさい、と言われたらきっと反発して逃げただろう。でも、一人で黙々と洗い物を始める母の後ろ姿が、洗い物を始めとする困難の山<子供の私にはそう思えた。途方もない大きさの山に思えていたのだ。>を淡々と一人切り崩していくことを教えたのだった。
新型コロナの対応然り。これからどうなるのか、と頭を抱えるような種苗法の改定案がするりと通ってしまうような国会の状況。できるかどうかも定かじゃ無いオリンピックに大金をつぎ込んだり、誰のためか察しのつくGO TOや、 貧困や格差の深まり。個人的にも、さあ一体どう続けていったらいいのだろうという<夜のパン屋さん>。
途方にくれるような状況の中にいても、一つづつ一つづつ、目の前のことを片付けていけばいいのだ、そう思うようになった。
「千里の道も一歩から!」
何事も何事も、そうなんだな。
でかした、母、いい教育でした!
次回は、2021年1月下旬更新予定です。お楽しみに!